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ウインスロー (USS Winslow, DD-53) は、アメリカ海軍の駆逐艦。オブライエン級駆逐艦の1隻。艦名はジョン・アンクルム・ウインスロー少将に因む。その名を持つ艦としては2隻目。 ==艦歴== ウインスローは1913年10月1日にペンシルベニア州フィラデルフィアのウィリアム・クランプ・アンド・サンズ社で起工した。1915年2月11日にナタリー・E・ウインスローによって命名、進水し、1915年8月7日に艦長ニール・E・ニコルズ中尉の指揮下就役する。 東海岸での公試の後、ウインスローは大西洋艦隊水雷小艦隊第6分艦隊に配属された。1915年の冬から1916年にかけてキューバ海域で艦隊演習に参加し、春に東海岸での作戦活動を始めた。1916年10月、ロードアイランド州ニューポートの沿岸で任務に従事する。 10月8日の05:30に、ロングアイランドの東端で灯台船ナンタケットの近くに停止するドイツ潜水艦の存在が無線で伝えられた。12:30頃にイギリスの汽船ウェストポイントからのSOSを受け取り、アルバート・グリーブス少将はニューポートに停泊するウインスローと他の駆逐艦に対して生存者の救助に当たるよう命じた〔ニューヨーク・タイムズ10月9日号によると、ウインスロー以外の艦艇は小艦隊の駆逐艦母艦メルヴィルと15隻の駆逐艦、エールウィン、バルチ、ベンハム、カッシン、カニンガム、カミングズ、カッシング、ドレイトン、エリクソン、ファニング、ジャーヴィス、マッコール、オブライエン、ポールディング、ポーターであった。また、マクドゥガルの操舵手による目撃談が10月22日に発行されている。 初期のレポートは以下の通り: マクダガルの操舵手による目撃談:〕。アメリカの駆逐艦は17:00頃現場に到着したが、ハンス・ローズ大尉の指揮するU-53〔U-53は駐米ドイツ大使のヨハン・ハインリヒ・フォン・ベルンシュトルフに対して手紙を届けるために10月7日にニューポートに帰港しており、これは攻撃の前日であった。そして出航前にアルバート・グリーブス少将およびオースティン・M・ナイト少将の表敬訪問を受けている。〕はホーランド・アメリカラインの貨物船、''Blommersdijk'' を攻撃しようとしていた。直後U-53はイギリス客船ステファノ (''Stephano'') を攻撃した〔Long, pp. 93-94.〕。U-53はその日の早くに他の3隻を沈めており〔他の3隻はイギリスの貨物船ウェストポイント (''West Point'') 、ストラスデン (''Strathdene'') 、ノルウェーのタンカー、クリスチャン・クヌーセン (''Christian Knutsen'')。〕、ローズはその3隻に行ったと同様にこの2隻の乗員に対して船から退去するに十分な時間を与えた〔Long, p. 93.〕。U-53が沈めた5隻の生存者の合計226名は駆逐艦隊によって救助された。 月末にウインスローはニューヨーク海軍工廠に入渠し、年末まで同地に留まった。1917年1月、キューバに向けて出航し艦隊に合流、恒例の冬季演習に参加した。演習を終えるとウインスローはチェサピークに向かった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィンスロー (DD-53)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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